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「しんせかい」考察・感想編

2020年3月12日

目次

しんせかい

2016年下半期芥川賞受賞で話題となった「しんせかい」。本作で登場する主人公の名前が山下スミトであり、山下さん自身の実体験をもとに極寒の地での日々を綴った一冊。遠くて薄い記憶を回想しながら書き連ねたであろう本作は、取り繕っていないからこそ味わえる独特の魅力があります。詳細について考察・感想を述べたいと思います。

作家紹介 山下澄人

作家名:山下澄人
生 誕:1966年1月25日
出 身:兵庫県神戸市
代表作:コルバトントリ、緑のさる、壁抜けの谷
その他:劇作家や俳優などマルチに活躍されています。劇団FICTIONを主宰。
富良野塾生として、【先生】こと倉元聰から指導を受けた。

しんせかい あらすじ

高校を卒業後、倉庫で働いていた山下スミト。ある日にある記事に出会う。

二期生募集
その新聞は家に間違えて配達されたものだった。間違えて配達された新聞にその記事はあった。それは俳優と脚本家、脚本家という物が何なのかよくわからなかったので辞書で調べた、を目指すものを育てる知らない名前の人の主宰する場で、馬の世話をするというのと、生まれて育った土地から遠く離れたところにあるというのと、入学金や授業料が一切かからないというのにひかれて応募して試験を受けたら受かった。

真冬になると零下30度にもなり、ろくに生活環境が整っていない【谷】で、【先生】とスタッフ、俳優・脚本家志望の仲間たちと農作業や馬の世話を行う傍ら【先生】からの指導してもらう2年間が描かれる。生活するための雑務をしながらも、【先生】や仲間たちと研鑽を積む中で、演技の間の取り方や、アドリブの必要性などを学んでいく。

一斉にしゃがんで銀色のトレーに入れられた苗を畑に移植し始めた。

「ぼくは地に足ついた役者や脚本家を育てたいと思っているんだよ」
「うわっつらだけの、きれいなだけの、そういう今流行りのものじゃなくてね」

「多くの人は感性だけでシナリオを描けると勘違いしてる。感性だけじゃシナリオは書けないよ」

しんせかい 考察・感想

飾り気のない描写

本作品の最大の魅力でありほかの作品では味わうことができない点が、山下澄人さん自身の富良野塾での経験をほとんど飾り付けることなく表現されていることです。あえて、頭に浮かび上がるような描写を使用することなく簡素に淡々と描かれ、自身の演劇に対する思いなどを排した「しんせかい」は、賛否が分かれる作品かもしれませんが、知らず知らずのうちに固定観念として持っている芥川賞像を改めて考えさせられる一冊になっています。まるで、記入を忘れた数週間前の日記を書いた時の仕上がりから、表現される「しんせかい」はまさに私自身の新世界でありました。

山下澄人さんのインタビューより

話の語り方ってものすごく上手下手が出るじゃないですか。そうなると話がうまい人ばかり注目を集めて、下手な人には光が当たりませんが、下手っぴいにだって話すべきことがある。そんな思いもあってこんな書き方になったんだと思います。

 

遠くて薄い記憶が織りなす魅力

冒頭部分にすべてが凝縮されていたのだと読み返した時に感じました。

「揺れてますよ」と船乗りがすれ違いざまささやいたことに乗船口からずいぶん歩いて気が付いた。

しかし船乗りはただ立っているだけで誰にもささやいたりしない。見てもいない。なぜあの船乗りはぼくにだけささやいたのだろう。ほんとうにささやいたのか。ささやいてなどいないのじゃないか。そもそもあれは船乗りか。船乗りだとしてあれはあそこにいるのか。いたのか。

終盤にも同様の表現が使われています。

ぼくは外へ出た。外へ出て空を見上げると大きな月が確かに出ていた。満月に見える。少し欠けているようにも見えた。月など出ていなかったかもしれない。夜ですらなかったかもしれない。

2年間の極寒の地での出来事と思いの最初の一年しか描かれない本作。
それは50歳を過ぎた山下澄人さんが自身の若き日を振り返ったものであった。

男はぼくを、探していた。間違いない。男はぼくを探している。しかし、男はここにはいなかった。そこにいるけど、ここにいない。男はここではないそこで、ここにいるぼくを探していた。

どちらでも良い。すべては作り話だ。遠くて薄いその時のほんとうが、ぼくによって作り話に置き換えられた。置き換えてしまった。

終始、遠くて薄い記憶を淡々と描き、決して演劇や恋心などを前面に据えることなく、平淡に表現することにより、【先生】が不便な極寒の地で共同生活する中で学ぶことの意義を「しんせかい」で表しているように思います。「専門分野(俳優、脚本)を学ぶだけでは不十分であり、すべての様々な経験(農作業や共同生活など)も重要である」というような強いメッセージを感じました。一方で、淡々と描かれた物語に登場した【先生】の言葉や、恋人・天への思い、仲間たちとの日々、間の取り方などは山下澄人さんにとってかけがえのないものであり、大切にしていることであるように思えました。

 

【先生】こと倉本との縁

倉本聰(1934年12月31日)
脚本家、演出家、劇作家であり、数々の映画や、舞台、大河ドラマなどの作品に携わっています。
最近でいえば、「やすらぎの郷」を執筆されています。
「しんせかい」の題字を手掛けたのは、倉本であり、30年以上の付き合いは深い信頼関係がうかがえます。