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「限りなく透明に近いブルー」考察・感想編

2020年3月12日

目次

限りなく透明に近いブルー

芥川賞受賞作であり、卓越した表現力で描かれており、一度読んだだけでは理解が難しい一冊です。
解釈は様々あると思いますが、考察させていただきます!

作家紹介

村上龍
生 誕:1952年2月19日
出 身:長崎県佐世保市
代表作:コインロッカーベイビーズや、五分後の世界
小説家、映画監督などマルチに活躍されてます。カンブリア宮殿という番組で小池栄子さんととも司会をされていることでおなじみです。

あらすじ

1970年代の軍基地の街・福生のハウスには、薬、性、暴力が日常化がした若者たちがいた。
19歳の主人公リュウもその中に身を置く。

『それで俺は自分の好きなようにその見る物と考えていた事をゆっくり頭の中で混ぜ合わせて、夢とか読んだ本とか記憶を探して長い事かかって、なんていうか一つの写真、記念写真みたいな情景を作り上げるんだ』

好奇心のまま、刺激、快楽に満ちた日々は同時に痛み、葛藤を伴い、若者たちを苦しめるのだった。そんな荒廃した日々の先に見出したものは、『波たち霞んで見える水平線のような、女の白い腕のような優しい起伏』を映しだした「ガラス」のように存在になって他の人々にも見せたいという思いだった。

考察・感想

達観した視点

『ゴキブリはケチャップがドロリと溜まった皿に頭を突っ込んで背中が油で濡れている。ゴキブリを潰すといろいろな液が出るが、今のあいつの腹の中は赤いかもしれない。昔、絵具のパレットを這っているやつを殺したら鮮やかな紫色の体液が出た。その時パレットには紫という絵具は出していなかったので小さな腹の中で赤と青が混じったのだろうと僕は思った』
『細い雨は、はっきりと降っているのがわかる。その屋根の上に灰色の絵具をなんども重ね塗りしたような重たそうな雲に覆われた空がある』
『街頭に照らされたその黒い背中を、最初ガラスの破片と間違えた。虫は医師に這い上がって方向を決めている。安全だと思ったのか草の茂みにおり、それらをなぎ倒して流れてくる雨水に飲み込まれてしまった』
『雨はいろいろな場所で弾ねて様々な違った音をたてる。草と小石と土の上に、吸い込まれるように落ちる雨は、小さな楽器を思わせる音で降る。掌に乗るほどの玩具のビピアノみたいなその音は、まだ残るヘロインの余波がたてる耳なりに重なる』
『濡れている外は優しい。風景の輪郭は雨粒を乗せて霞み、人間の声や車の音は落ち続ける銀の針に角を削られて届く』

リュウの見たもののをそのまま表現するだけではなく、その他との繋がりに派生していく独特の世界観は、強烈なインパクトがあるものから、繊細なものまで多彩です。物語を愉しむとはまた違った、愉しみ方ができます。また、句読点や、かっこの使い方を駆使して、あえて読みにくく見にくくすることで若者の葛藤や迷いといった世界観を読者に伝えている作者の技法は見事としか言いようがありません。

垣間見えるピュアなハート

薬や性、暴力に満ちた世界に身を置く若者が描かれていますが、皆、家族との繋がりや夢を持った普通の若者であることが所々垣間見えます。ハワイの父親と再会を願うもの。家族から心配の手紙が届くもの。家族の葬儀に参列するものなど。良識があるにもかかわらず、薬や暴力に染まってしまう若者たちは、大人と子供の境目、理想と現実の壁、将来の不安に直面しているように思います。
若い頃は特に、背徳感が快感であることが誰しもあると思います。この作品の登場人物は度が過ぎているだけで原点にあるものは皆変わらないと思います。

良識に反したことも含めて見続けた先に・・・

『それで俺は自分の好きなようにその見る物と考えていた事をゆっくり頭の中で混ぜ合わせて、夢とか読んだ本とか記憶を探して長い事かかって、なんていうか一つの写真、記念写真みたいな情景を作り上げるんだ』

大人と子供の狭間で良識に反したことも含めて見続けることを課した。

『そんなこと決めてないよ、とにかく今何もしたくないんだ、やる気みたいのがないからなあ』

『昔はいろいろあったんだけどさ、今空っぽなんだ、何もできないだろ?空っぽなんだから、だから今はもうちょっと物事を見ておきたいんだ。いろいろ見ておきたいんだ』

他の描写からフルートの才能を有しており、ちょっとした有名人であったリュウ。おそらく、昔にいろいろあったものとは、フルートの練習に打ち込む向上したい、うまくなりたいといった夢や希望、具体的な目的や目標なんだと思います。

様々なことを見て貯めたはずが実は何も貯まっていなかった。むしろ傷ついていた。
これまでの日々を思い、後悔しもがき苦しむ。

『リリー、俺帰ろうかな、帰りたいんだ。どこかわからないけど帰りたいよ、きっと迷子になったんだ。もっと涼しいところに帰りたいよ、俺は昔そこにいたんだ、そこに帰りたいよ。リリーも知ってるだろ?ここはどこだい?』

『リリー、鳥が見えるかい?今外を鳥が飛んでるんだろう?リリーは、気が付いているか?俺は知ってるよ、蛾は俺に気づかなかった、俺は気がついたよ。鳥さ、大きな黒い鳥だよ、リリーも知ってるんだろう?』

『リリー、鳥を殺さなきゃ俺が殺されるよ。リリー、どこにいるんだ、一緒に鳥を殺してくれ、リリー、何も見えないよリリー、何も見えないんだ』

「黒い鳥」と「白い起伏」と見出した光

『ずっと僕はわけのわからない物に触れていたのだ、と草の上で思った。巨大な黒い鳥は今でも飛んでいて、僕は苦い草や丸い虫と一緒に胎内に閉じ込められている』

『血を縁に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い。限りなく透明に近いブルーだ。僕は立ち上がり、自分のアパートに向かって歩きながら、このガラスみたいになりたいと思った。そして自分でこのなだらかな白い起伏を写してみたいと思った。僕自身に映った優しい起伏を他の人々にも見せたいと思った。

「黒い鳥」は震える腕を「ガラス」で刺して正気を取り戻した後のリュウにも存在することから、消えることのない何かを表してます。私としては、「後悔または過ち」だと思います。決して過去は消せないし、変えられない。今後も、後悔の念に苛まれるかもしれないとリュウは悟っている。

「ガラス」のようになりたいといったリュウの気持ちはわかったのですが、「白い起伏」とは何なのか何度か思案したのですが、なかなか結論に至ることができませんでした。ですが何度も読み返すことで自分なりにまとまりました。
「白い起伏」=生きている実感(喜べる、美しいと思える)だと思っています。後悔の念に駆られている時は、生きている喜びではなく、死への恐怖を多く口にしていた。また、自分が人形のように無気力で過ごしていた日々を回想していたことから、生きている実感がなかったのだと思います。よくよく読み返してみるとリュウの言動は、ほとんどが受動的であり、機械的な面がほとんどです。そんなリュウに対して、「ガラス」で自分の腕を刺した時の痛みや、リリーを殺しそうになった時、「ガラス」に限りなく透明に近いブルーを見た時の体験は生きている実感を与えるものだったのだと思います。

「黒い鳥」の解釈はいろいろと考えることができますが、私としては、「後悔」であると思います。背徳的行動はいずれ後悔を伴う。その場では自分は満足して快楽を得ているはずなのに。大人と子供の境目、理想と現実にの狭間で興味本位で見てきたやってきた代償は自分が思っている以上に大きなものだった。それがリュウのように明晰であればあるほど、その反動は大きくなるように思います。

「黒い鳥」を受け入れ、「白い起伏」を映せる自分になりたい。その思いが実を結び、「限りなく透明に近いブルー」と「リリーへの手紙ーあとがき」が生まれたのだと思います。過ちを受け入れた上で「俺は生きているよ」と伝わってきます。

本書との思い出

何度か読み返していますが、思うことはいつも一つ。名作!の一言。
見て、感じて、考えたいと思うリュウの気持ちは共感できる点が多くありました。また、若者たちの背徳的な気持ちも同様です。良識に反することはやってはいけないことですが、リュウのように改心ができれば、それもいい経験なのではないかと思うと同時に、改心が極めて難しいということも感じます。悪いと思っていてもやめられない、現状に甘んじている登場人物がほとんどです。そういったことは念頭に置いておくが必要に思います。
私は、最後のリュウの姿から、今までの人生を受け入れた上で、主体的(生きている実感)になって生きてゆくことを見出したのだと思います。大人になって、ある程度身の丈にあったことを選びがちな自分がいます。葛藤や衝突を知らぬ間に避けている感じです。そんな自分に、大いに響く作品でした!
明確な答えが記されているわけでもないので、難解な小説ではあるのですが、そこが最大の魅力です。ぜひとも、本書を手にとっていただき、考えていただけたらと思います。コメントもお待ちしております。